ひとには自信を与えるだけでいい

昨日、執拗に責められたわけよ。
ワガママだ、
ダメな奴だ、
旦那さんを支えようと思わないの、
子供だ、 

これさ、言った人はつまり、
自分に対してはこれを課して生きているんだよね。
ワガママは、、いけない。
ダメな奴になっては、、いけない。
旦那さんを支えないと、、いけない。
子供のままでは、、いけない。

だから、自分が無理して頑張っているから、
だから、なぜ、あなたは頑張れないの!
ダメじゃない!
と、執拗に責める。

人を追い詰めるのは、
自分が追い詰められているからなんだろうな

と、第三者として見られるようになった
〜自分に乾杯(^-^)

人のいいところだけを褒め
自信を与えるだけの人になろう(^-^)

仲間の存在

自信というものは一人で「内」に向き合うだけでは
なかなか取り戻せないのかもしれない

もちろん自分の「内」に向かうことをずっと訓練していなければ自信の定着はないのかもしれないが、、、



自分に向き合い「自分は何がしたいの?何が好きで、何をしていると楽しいの?」
私の場合は、これをずっとずっと「内なる自分」問いかけることを繰り返してきました。
今年の1月からです。
苦しくて苦しくて、周りは全員敵!っ思う時期がありその時、Happyさんのブログに出会いました
そこから自分にちゃんと、向き合うようになりました

苦しみはいつしか消え、笑顔を取り戻し、人を受け入れ感謝出来るようになったんです

そんな簡単なこと?気付けなかったの?
という方は、この先を読まなくて大丈夫です(^-^)

行ったり来たり、
イライラも自我も、時には出るけど、感謝と笑顔に戻れるコツをつかみ
徐々に楽しい気分が増えていき、1日のほとんどを楽しい気持ちで過ごせるようになりました。

細かいことは気にならなくなり、なんであんなにいろいろと気にしていたのか?笑ってしまうほど
生きることは楽しいね。っ思えるようになりました。

要は、コツなんです。訓練なんです。刷り込み。当たり前の基準を塗り替えるんです。

そうして、私は自分らしさを取り戻していきました。
取り戻す!そう!
子供の頃に、幼児期に、ん〜もっと言えば、生まれる前かな(^-^)

で、好きなことすることが私の、この!人生の使命。
その使命をしていれば、毎日は幸せで、ワクワク楽しいこともわかっちゃったんです。
(これ実際にはどっちが先かは、決められないし、同時に決める必要もないです。
時間なんて本当はないようだし)

でもね、私の母や祖母は昭和(戦後)時代生きてきた世代
「女の子は……」という固定概念がとても強かったんです。
彼女達自身もそうして教えられてきたわけですし、
意地悪で私にその固定概念を押し付けたわけではないんですよね。
むしろ幸せを願って教えてくれたんです。
(これに気づくまでは、恨みました、、、)苦しみを人のせいにするって、怖いですね
人のせいにしている(外に原因を探求している)内は絶対に救われません。

で、結婚観について、私はこう教えられました。
「女性は心強く一途でなければならない。結婚したら、離婚はしてはならない。
主人をたて、尽くさなければならず、それが幸せになる唯一の方法。」
まあこんなに硬い言葉で教えられたわけではないですが、
子供の頃は、よく我慢してる母を見ていた気がします。


そんな固定概念がちゃんと潜在意識に刷り込まれている私ですから、
自分らしさを取り戻した後もふと、出てくるんです。
旦那をたて、尽くさなければいけない使命感!
結婚した相手が、同じ使命感であれば問題はないでしょう。
でもうちはそうではなかった、、、
根底は同じ価値観でも、表現形が違う。主人には主人の世界観があり、
私が身を置きたい世界観と今の段階ではちがっていたんです。
ここで、私の中の葛藤が始まります。


自分A   
子供の頃からの夢「時間も食事も忘れて没頭できる世界」があり
それをすること、している時が一番楽しく、幸せである自分。

自分B
女として生まれたのだから、伴侶を支え、尽くさなければならず
それをすることが幸せであるから、そうしないといけないと思う自分。

自分Aと自分Bを冷静に、客観的に比較検討すれば、
自分Aは、本当の自分。中心の部分。
で、
自分Bは、後から作られてきた壁に囲まれた自分。余計なものがくっついている状態の自分。

ならば、Aに徹すればいいんだ!ってわかりますよね。業界の人なら(笑)


はい!解決!って感じですよね〜


しかーし、そんなに簡単にいかない。
潜在意識、「後から構築された壁」は、そんなに簡単には外れませーん。壊れませーん。

それにプラスして、「思考」が変化をものすごく恐れるという厄介な性質が加勢します。

変化を恐れるのは身を危険から守るための本能に近い性質なので、
文字どうり、そう簡単には「変われない」のです。
脳、思考の言い分はこうです。

とりあえず、
今、文句は多少あっても、平穏に暮らしているのになぜ?変わろうと?
今のままなら命は危険じゃない。
変わった後はどうなるか予測がつきません。過去のデータ上にないことなので、回避してください。
現状を維持することが、一番最善の方法です。byあなたの思考より

潜在意識と、思考(脳)によって言い聞かせられ、納得させられ
そうだよね。このままでも、、、

過去の私なら、そう思っていたに違いありません。

でも、もう知ってしまったんです!
もう、訓練を重ねてきた「心(本当の私)」が、いるんです。

ここは思い切って変化へと!
一気に傾きます。
変化したって死なない。
もう、脳には騙されません。

そうして私は、変化を選択しました。
あっ、なにも離婚しようということではないんです。
詳しくは別に書きますが
(今日は自分の意識、思考、心のお話ですが、これに伴い、宇宙はどんどん、どんどん真の私に加勢してくれます。まさにパズルのピースをはめ込み退路を閉ざし、、、宇宙、ハンパね〜〜)
硬い決意に、主人も私の選択をしぶしぶですが受け入れざる得ない状況に。

ですが、
この後に及んで、私の潜在意識の壁は、最後の抵抗をしてきました。

「自信が持てない」
その新しい生活にワクワク感も、希望も夢もすべてを想像できるのに
手に取るようにその暮らしが目に浮かぶのに
すべてを創造できる!私にはできる!私にしかできないの!という自信があと一歩持てない。

そんな日々が続きました。
心から腑に落ちないまでも、進もう!といろいろと手配をしていきます。
しかししばらく進むと
「本当にいいの?」と、心配しているのよ顔で潜在意識が問いかけてきます。ニヤリッ
いいの!心から好きなことだけすればいいの!
「旦那さんに不自由かけていいの?女なのに、、、」

そして少しでもそこに意識を向けると、
目の前に状況が現れます。
「ご主人、大丈夫なの?」とか、「食事とか大変でしょうね〜」とか
やたらとそんな言葉が耳につき、さも、自分が悪い人間に思えてくるのです。
ここで、潜在意識は勢力を増し、畳み掛けてきます。
「お母さんもおばあちゃんもあなたがそんなことするとは思ってないでしょうね〜……」

完全に壊れていない壁はエルサの魔法のごとく氷の城を勢いよく!!!!


はい!でも私!9ヶ月以上訓練してきましたから!
負けません!!!

私のやりたい好きなことは、家政婦じゃないで〜す!
農業なんで〜す!
私らしいのは!土とともに生きること!ですから!

こんな押し合いを続けてきましたが、決定打がイマイチで、延長戦は続きます。


そう、そんなことを繰り返すうちに、ついに決定打を宇宙が用意してくれます。


思えば、今年の新米に触れた日の出来事です。
(私は従兄弟の田んぼを毎年手伝いに行っていて、その田んぼでは日本の在来種の種を残していく。
ということをしています。農業はもちろん肥料すら使わず、土と水と太陽、自然に感謝し田んぼを守っています)

その新米、新しいエネルギーに触れた日でした。

友人夫婦と私の主人も交えて飲みに行ったのです。

宴たけなわ〜友人夫婦の夫が「花ちゃんはいつ島に帰るの?早く行ったほうがいいよ!」と。
私の主人が「妻が一人で島での生活が心配。そんなに急がなくてもいつか一緒に帰るんだし」と。
わたしの中の潜在意識は、息を切らせて!今だ!とばかりに
そんなに心配してくれる旦那さんを置いていくなんて、女としてどうなのよ!
泣崩れそうになるわたしの横から

まさに宇宙が加勢しました。
最終兵器の投入です!

友人夫婦、妻

「ちゅーちゃん(私の旦那)さ、もう、いい加減にしなよ!
この子をこの子が一番輝く場所に行かせてあげて!
この子が輝いてていれば、あなたも周りも幸せになれるんだよ!」

私が輝いていることが、周りを幸せにすること

大きな神の手が背中を思いっきり押しました
「女の子は………」という潜在意識は木っ端微塵に砕け散りました

世界を自分で創る!

そのためには「内なる自分」と向かい合うことが大切です
向かい続けなければなりません。
だからこそ、一緒に進む仲間が必要なのです

自信が定着し揺るぎなくなるのは、訓練の結果
その定着する自信をちゃんと持たせてくれるのは、仲間
自分をちゃんと見ていてくれるのは仲間なんです

























天国の階段でペットに会える?

死後の世界はあるのだろうか?という探究は
おそらく、人間が言葉を使うようになった頃からずっと続くものだろう

死後の世界はあるのか?
ないのか?
死ななきゃわからないのか?

脳科学が発達し始めた頃、死にかけた時
三途の川とか、お花畑とかが見えるのは、網膜の焼きついた光の作用で
脳が過去のデータから近い景色と重ね合わせただけ。
という結論。みたいなことを聞いた。

しかしながら、脳科学がもっと進んだ今、
「脳量子力学?」というような分野があるらしい。

脳のことを脳で考えるのだから、限界はあるんだろうが、、、

先日見たブログで、脳外科医的にあり得ない現象について載っていた
病気で手術。左脳をすべて摘出した(言語能力がない状態)で、
意識の戻らないまま入院していた患者が、
いよいよ亡くなるという時に、目を開け、家族の名前を一人づつ呼び、
一人一人にちゃんと思い出と、感謝の言葉を述べてから亡くなってそうで。

手術を担当した医者にしてみれば、あり得ない!現象だったそう。
その医者は、
「記憶は脳に保存されているわけでなく、
声さえ出れば、言葉も脳を使うことなく発するとしか考えられないが、
では、記憶は果たしてどこに保存されているのかは、もうわからない、、、」
と、西洋医学的に考えられない。と呆然としたそう

俺は今まで何やってたんだ〜現象ですね。
辛かっただろうね。

で、死後の世界。

子供の頃、人は死ぬと天国に行く。と教えられた。
もちろん悪いことしたら地獄ね。
で、先に死んじゃったペット達が天国に続く階段で待っていてくれる。
とか、
死んだら、その人が人生で一番輝いていた時代の姿に戻って生まれ変わるまで
楽しく幸せに暮らす。
そこに苦しみや不安、恐怖はないの。
とか、
私の心の支えだったペットが死ぬたびに、おばあちゃんや、お母さんが
泣き止まない私に、話してくれた。

そんなおばあちゃんも、お母さんも、亡くなった。

果たして彼女達は、人生で一番いい時の姿に戻れたのだろうか?
ちょっと待て、人生で一番いい、輝いていた時って、いつなんだ?
思春期?
結婚前?
子育て中?
老後?
そんなの、その本人にしかわからないじゃんか!
自己の希望を、神様とかが聞いてくれるのか???

一般的には若くて痩せてて、綺麗だった時かな?なんて思うけど、
私は、今日死んだら、確実に3歳戻にりたい。

じゃ、天国であってもわかんないじゃん。

例えば若くて綺麗で痩せてる!おばあちゃんに、
「あんたは孫の花ちゃんかい?」って聞かれても、
3歳だよ!
知らないお姉さんに話しかけられたら、驚くだけでしょ。

ん???
待てよ。
姿はいいとして、記憶、脳、経験はどうなるの?
もし、記憶もそこまで戻るなら、そもそも、若いおばあちゃんは、
私の存在を知らないよね?

ええええ????

どうなるの?

じゃ、やっぱり魂というものになるの?

光の玉?

えええ?

だとしたら、今の記憶なんて、いらない?

だとしたら、今苦しんでるって意味なくね?

生まれ変わりもない???


お釈迦様は、苦しみを、ストーリーの中
一つ一つ経験、解読し、「演技」していったそうです。
こうなると、こう思う、その時こう思うから、こうなって、、、と。
いつになると人は苦しみが消えるのか?
どこまでいけば、探求が終わるのか? と。

そうしてたどり着いた場所は、「無」

何もない

なにも起きてなければ、
感情も、経験も起きない。

苦しみも、悲しみも、何処へ向かうのかという不安も、、、

起きてないことに笑ったり、泣いたり、できませんよね。、、、


何も起きていないとき、人はそこに、感情は湧かない。
見ることも、聞くことも、

でも、世界は明らかに存在し、私は、今生きてる。 よね?

何かに触れば、感じるし、冷たい?熱い?

起きてるよね!
確実に、起きていますよね。

お釈迦、どうする?
どうしたらいい?

まさか!お釈迦様もいないのか?

非2元、という発信をしている大和田菜穂さん。
なかなか、興味深いです。

すべては、ただあるだけ。
すべては起きていて、そして同時に起きていない。という。

私、が、いま、感じることができるのは、
彼女の前に行くと、確かに「無」を感じるだけ。
すぐに私に戻っちゃうけど、

その瞬間、確実に思考が、間違いなく停止していたと、
あとから振り返れる。

世界は不思議に溢れてる。

行き着くところが「無」だとして、
それでも、そこへ行くキッカケと経路は各々なんだろうと思う。

菜穂ちゃんは、
「キッカケも経路も、、、ないの。
なーんにもない。」と、ケラケラ笑う。

それが嫌な笑いじゃないから、また、悩ましい、、、、、














空間をイメージする

空間はそこにあるのだろうか?

 

意識を向けたとき、そこにはじめて「空間」という空間が生まれるのか?

 

シュレディンガーの猫の法則によればそうなりますよね.........

 

そうか!だから自分が思い描く空間が創造されるわけか

 

空間に存在する自分をまず思い描く

 

そこ自体が現在形では存在しない?

 

いや、平行して存在している?

 

そもそも現在形という時間のくくりさえない?

 

「今」しかない?


きょうはここまで、、、、、もうわからん

 

 

 

 

 

 

脳を失くしたい

思うがまま書いてみよう。
こんな文章がいいとか、こんな言い回しがいいとかじゃなく。
こんなことを書いたら人はどう思うかとか
こんなの読みたくないよねとか。
こう書きながら、まだ言葉を選んでいる。
人間は本当に面倒くさい。
自分の居場所、自分自体を常に探している。
探求しているつもりはないのに
もう、全ては単なる素粒子の動きでしかないとわかっているのに
わかっていること自体が素粒子の集まりが勝手にわかってるだけで
全ては、ただ、在るだけ。なのに。

以前よりは楽だ。
悩むことはない。
起こる事すべてを自分が前もって創造しているだけだとも
わかってる
もっと明確に、なりたい世界を思い描きたいのに
その明確な世界が見えない。
自分は存在しないのだし
なりたい自分自体が、そもそもいないのだ。
そこをまだ納得できない抵抗がある。
抵抗自体も、たんなる素粒子の動きであるし
しかしその素粒子に「動き」というエネルギーを与えているその存在は?
存在しないのか?



封印された「トラウマ」

先日のUSPで、植松 努さんが、おっしゃっていたこと
努さんが、人を蹴落として、お金を稼いたころ、友人に誘われて訪れた施設
そこには児童虐待を受けて、心の傷を負い
他人に触られただけでパニックを起こすこともある子もいたそうです

ボランティアを終えた努さんに
帰り際、一人の子供が近付いてきて
「僕の夢を聞いてください」と、言う
聞いてみると、その男の子の夢は「両親ともう一度暮らすこと」だという

その時、努さんに衝撃が走った………

親に虐待され、身体にも心にも傷を負わせられながら、
なぜまだ親を愛してる????

自分がどんなに稼いで、寄付したとしても
この子を養子にして不自由なく育てたとしても
意味がない!ダメなんだ、、、
なぜならば、この子は親を愛している。
じゃあ、どうしたらいいんだ?
なぜ、子供を虐待するんだ?原因はなんなんだ?

暴力による攻撃(虐待)は、自分より弱い者にしか向かない。
男性なら、女性、女性なら子供、そして動物という具合

努さんは、愕然として
ー僕はなにをしていたんだ?どうしたらいいんだ?ー
と、頭ん中がぐるぐる、ぐるぐる回り出したそうです。
考え、考え、毎日毎日、考え、、、、

ふと、封印していた記憶が蘇ってきたそうです。
小学校の低学年の頃に、担任の女性教師から受けていた虐待。
頭を叩かれ、言葉でもいじめられ、、、辛かった日々
その先生も、実は家庭で暴力を振るわれていたらしいのです。

弱者に向いてしまう攻撃。
どうしたらいいんだ。

自分を虐待していた先生がいつも言っていた言葉

「どうせ無理」「あなたになんか無理」
どーせ ム リ、、、、

これは最悪の言葉の暴力だ、、、
そして努さんは、答えを見つけました。

人から自信を奪う言葉の暴力「どーせ無理」
これをなくせばいいんだ!
そうしたら、結果、児童虐待だけでなく、戦争すらなくなる!

そうして、努さんは「どうせ無理」をなくすために
一般的に絶対に無理。と言われていた民間による宇宙開発を目指すようになります!!!

さてさて、植松努さんの「どうせ無理」撲滅運動についてはまた詳しく
長期的に取り上げていくこととして
(なんて言っても私の場合第4番目の「師」ですからね)

で、この封印された記憶のお話

今日ね、お友達(92歳のおばあちゃんです)に
かぎ編みの小物を色々とプレゼントされたんです!
ご自分で作られたんですよ!

「簡単ですよ!頭の体操!お教えしましょうか?」って!

かぎ編みか〜
子供のころにやったような気もするが、、、、
教えてもらうにしろ、ちょっとは勉強しとこ!
母の形見のかぎ編み棒のセット
100均で、毛糸を買ってきた。
ネット検索、YouTube、「基本の編み方」

やってみた、、、
出来た。うんうん、やったことあるわ〜V(^_^)V
思い出してきた〜〜と、、、しばらくしたら、嫌〜な気分になってきた

なんだ?
ま、いっか!
出来るじゃん、私、、、、( ゚д゚)あっ、、、、、

「不器用な子だね」「そこじゃないよ」「なんで綺麗にできないの?」
「ダメな子」「向いてない」「あなたには!無理!」( ゚д゚)…………>_<…

子供の頃、11歳上の姉は、とても器用で裁縫が得意だった。
11歳も違うんだから、考えてみりゃ〜私の方が下手なの当たり前。
姉も、母も、器用でなんでも出来た。
私は、、、、
姉も母も、私が可愛くて笑っていたのかもしれない。
でも、私は、すごく悲しかった、、、、、

そう、だから大きくなってからは、母と、特に姉を、避けた。
比べられたくなかった。
近くに居たくなかった。
また、馬鹿にされる。
また、笑われる。
そうハッキリと思っている時はまだよかったのかもしれない

だんだんと、なぜ?避けるかがわからなくなった。
笑われた記憶を、「どうせ無理」と言われた記憶を、そのトラウマを
封印てしまったのだ。

見て見ぬしていると、歪みがうまれる。
だんだんとそれが大きくなったんだ。

母も姉も、もうこの世にいない。

今更だけど、「無理じゃないよ〜」って言って
毎日そばで笑い合いたい、、、








心の声って?

人はこの世界に何をしに来たんだろう?
なぜ?私は生まれてきたの?
誰もが「ものごころ」(幼児期を過ぎて、人の世のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる頃?)ついた頃に、疑問に思い、親に聞いたりする。

死ぬとどうなるのか?を考え始めるのもこの時期かな?
怖くて、不安になり
朝、起きて、世界に誰〜れもいなくなっていたらどうしよう(;゜0゜)とか……

思いませんでした?

ここで!
この時期から、どんどん常識の刷り込みが始まるんですよね

死んだら、天国に行くのよ
悪い事したら地獄だよ
地球は、太陽系の惑星で、、、
幼稚園は休んではいけない
学校に行かないとダメ
みんなと集団行動できない子はおかしいの
勉強しないと生きていけないの
そんな事したら、笑われるよ
笑われたらいやでしょ!、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

笑われたら、恥ずかしいんだ
勉強しないと、
頑張らないといけないんだ

「ねえねえ、これ楽しそう!」
わ、ほんとだ。もっと見たい!知りたい!

何してるの、そんな事はしなくていいの
勉強しなさい
宿題は!?やったの?
言われた事を、守りなさい
、、、、、、、、、、、、、ダメな子、、、、、、、、

もう、あなたとは遊んじゃダメだって。
お母さんが。
ごめんね。
ダメな子のなったら大変なんだって、、、、
だから、もう、、、

さ、よ、な、ら、、、、

こんな風に私たち、心の声に
一方的に「さよなら」告げて離れてしまったのかも

でも、その心の声は、今もあなたに話しかけてるよ
心のポストには、心の声からのお手紙がたくさんたくさん入ったままなんだよ
一つづつでいいから、開封しよう

そうしたらね、
思い出すんだよ
本当に好きだったこと。

この世に、何しに来たかの答え。

さ、ポスト開けて!

そろそろ、答え合わせしよう!

間違ってるとこは、もう一度、学び直せばいいだけ!

だって!答えは、もう、わかってるんだから!