天国の階段でペットに会える?

死後の世界はあるのだろうか?という探究は
おそらく、人間が言葉を使うようになった頃からずっと続くものだろう

死後の世界はあるのか?
ないのか?
死ななきゃわからないのか?

脳科学が発達し始めた頃、死にかけた時
三途の川とか、お花畑とかが見えるのは、網膜の焼きついた光の作用で
脳が過去のデータから近い景色と重ね合わせただけ。
という結論。みたいなことを聞いた。

しかしながら、脳科学がもっと進んだ今、
「脳量子力学?」というような分野があるらしい。

脳のことを脳で考えるのだから、限界はあるんだろうが、、、

先日見たブログで、脳外科医的にあり得ない現象について載っていた
病気で手術。左脳をすべて摘出した(言語能力がない状態)で、
意識の戻らないまま入院していた患者が、
いよいよ亡くなるという時に、目を開け、家族の名前を一人づつ呼び、
一人一人にちゃんと思い出と、感謝の言葉を述べてから亡くなってそうで。

手術を担当した医者にしてみれば、あり得ない!現象だったそう。
その医者は、
「記憶は脳に保存されているわけでなく、
声さえ出れば、言葉も脳を使うことなく発するとしか考えられないが、
では、記憶は果たしてどこに保存されているのかは、もうわからない、、、」
と、西洋医学的に考えられない。と呆然としたそう

俺は今まで何やってたんだ〜現象ですね。
辛かっただろうね。

で、死後の世界。

子供の頃、人は死ぬと天国に行く。と教えられた。
もちろん悪いことしたら地獄ね。
で、先に死んじゃったペット達が天国に続く階段で待っていてくれる。
とか、
死んだら、その人が人生で一番輝いていた時代の姿に戻って生まれ変わるまで
楽しく幸せに暮らす。
そこに苦しみや不安、恐怖はないの。
とか、
私の心の支えだったペットが死ぬたびに、おばあちゃんや、お母さんが
泣き止まない私に、話してくれた。

そんなおばあちゃんも、お母さんも、亡くなった。

果たして彼女達は、人生で一番いい時の姿に戻れたのだろうか?
ちょっと待て、人生で一番いい、輝いていた時って、いつなんだ?
思春期?
結婚前?
子育て中?
老後?
そんなの、その本人にしかわからないじゃんか!
自己の希望を、神様とかが聞いてくれるのか???

一般的には若くて痩せてて、綺麗だった時かな?なんて思うけど、
私は、今日死んだら、確実に3歳戻にりたい。

じゃ、天国であってもわかんないじゃん。

例えば若くて綺麗で痩せてる!おばあちゃんに、
「あんたは孫の花ちゃんかい?」って聞かれても、
3歳だよ!
知らないお姉さんに話しかけられたら、驚くだけでしょ。

ん???
待てよ。
姿はいいとして、記憶、脳、経験はどうなるの?
もし、記憶もそこまで戻るなら、そもそも、若いおばあちゃんは、
私の存在を知らないよね?

ええええ????

どうなるの?

じゃ、やっぱり魂というものになるの?

光の玉?

えええ?

だとしたら、今の記憶なんて、いらない?

だとしたら、今苦しんでるって意味なくね?

生まれ変わりもない???


お釈迦様は、苦しみを、ストーリーの中
一つ一つ経験、解読し、「演技」していったそうです。
こうなると、こう思う、その時こう思うから、こうなって、、、と。
いつになると人は苦しみが消えるのか?
どこまでいけば、探求が終わるのか? と。

そうしてたどり着いた場所は、「無」

何もない

なにも起きてなければ、
感情も、経験も起きない。

苦しみも、悲しみも、何処へ向かうのかという不安も、、、

起きてないことに笑ったり、泣いたり、できませんよね。、、、


何も起きていないとき、人はそこに、感情は湧かない。
見ることも、聞くことも、

でも、世界は明らかに存在し、私は、今生きてる。 よね?

何かに触れば、感じるし、冷たい?熱い?

起きてるよね!
確実に、起きていますよね。

お釈迦、どうする?
どうしたらいい?

まさか!お釈迦様もいないのか?

非2元、という発信をしている大和田菜穂さん。
なかなか、興味深いです。

すべては、ただあるだけ。
すべては起きていて、そして同時に起きていない。という。

私、が、いま、感じることができるのは、
彼女の前に行くと、確かに「無」を感じるだけ。
すぐに私に戻っちゃうけど、

その瞬間、確実に思考が、間違いなく停止していたと、
あとから振り返れる。

世界は不思議に溢れてる。

行き着くところが「無」だとして、
それでも、そこへ行くキッカケと経路は各々なんだろうと思う。

菜穂ちゃんは、
「キッカケも経路も、、、ないの。
なーんにもない。」と、ケラケラ笑う。

それが嫌な笑いじゃないから、また、悩ましい、、、、、